池田 勇太
いけだゆうた、1985年12月22日生まれ、千葉県出身、フリー。
2010年、世界に勝負をかけたプロダクトが発売された。「N.S.PRO MODUS³」、日本シャフトが誇るアスリートシャフトだ。今日に至る地位を獲得できたのはUSPGAツアーのニーズをカタチにできたこと、そして日本男子ツアーを牽引する池田 勇太プロと歩んだ10年以上の月日があったからだ。
撮影=田中 宏幸、取材協力=カレドニアン・ゴルフクラブ
プロゴルファーの池田 勇太です。
「モーダス3」が歩んできた10年を振り返るこの連載企画ですが、先月10月号からバトンタッチを受けて、私が登場させていただくことになりました。「モーダス3」が歩んできた10年の歴史は、私がともにプレーヤーとして成長してきた10年そのものでもありますが、今回は「モーダス3」というより日本シャフトというメーカーと歩んできた私のゴルフ人生を少しだけお話しさせてください。
私と日本シャフトとの出会いは、ジュニアゴルファー(中学生)だった頃。当時から定番だったスチールシャフトは、その頃の私にとって重すぎて使えない中、唯一私の体力にマッチしたスチールシャフトに巡り会わせてくれたのが日本シャフトでした。
私の体力の成長とともにレッド、オレンジと徐々に最適な重さに対応してくれるN.S.PRO SuperPeeningシリーズ(現在は生産終了)で、私はゴルフを磨いてきたのです。
そしてプロになった私が愛用したのがプロトタイプの「システム3」、今に至る「モーダス3 システム3 ツアー125」の原型そのものにもなったシャフトでしたね。
2007年にプロ入りし、2009年日本プロゴルフ選手権で初優勝、2019年ミズノオープンまでの21勝全てを日本シャフトと共に歩んできました。それぞれ記憶に残るアイアンショットがプレイバックされますが、そのエピソードを言い出すとキリがない。そもそもアイアンショットが良くないと勝てない、というのが、私と日本シャフトのパフォーマンスの深い関連性を象徴しているのではないでしょうか。
プロ入りして以来、さらに緻密なサポートをいただき、その時々に必要としたパフォーマンスを様々なプロトタイプ「システムシリーズ」で向上できたことは明らかです。
スチールシャフトという1本の鉄の管に、様々な剛性、フィーリングの変化をつけることができる技術はとにかく凄く、尊敬の念しかありません。ツアー会場のコミュニケーションだけでなく、その開発拠点である長野県の駒ヶ根工場にも足を運び、この目で世界屈指の製造設備を拝見し、エンジニアと意見を交わすことで、よりお互いの信頼度も深めることができた。
私は遠慮なくプロの立場から意見を言い、日本シャフトが最高の形として機能化してくれる、この流れはこれまでもこれからも変わらない。今、34歳の私がこれから10年、20年と選手としてさらに進化していくために必要な日本シャフトとのルーティーンなのです。
「モーダス3」がスタートして早10年ですか、ブランド発足当時のちょっとした思い出があります。私が使用していたプロトタイプ「システム3」に、新ブランド「モーダス3」がスタートするから、ブランドシールをシャフトに貼らせてくれ、と一方的に勝手を言われた時には、『そんなバカな話があるか!』って(笑)。『ちゃんとプリントした正式なものを持ってこい!』なんて、わざと怒鳴り散らしたこともあったかな(笑)。今では笑い話ですが、その時の怒りは、それならそれで正式なものを使わせて欲しい、という私の愛そのものだったんですよね。
「モーダス3」は、今ではすっかりアスリート御用達の地位を得ていますが、私はそれ以前、ジュニアゴルファー時代から日本シャフト「N.S.PRO」一筋。たくさんの使用者を獲得している日本ツアー、いや日本のプロゴルファーの中でも私が一番“日本シャフト愛”を持っていると自負しています。
私が採用する「モーダス3」は、その時々私が必要とするパフォーマンスを機能化してもらったプロトタイプです。現在、プロトタイプ「モーダス3 システム3+」を使用中ですが、このモデルは「モーダス3 システム3 ツアー125」となって市販化されています。
またハイブリッドはプロトタイプで「モーダス3 ハイブリッド」を採用中ですが、USPGAツアー発信のこのシャフトは初見、あまりにも硬かった。
私の意見が反映されたプロトタイプでは、硬さの中にもしなやかさがうまく機能化されており、私は“日本発信モデル”としての製品化を日本シャフトに提案しています。
問い合わせ/日本シャフト株式会社
TEL:045-782-2562
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