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今月のゴルフ愛 最後の一滴「武蔵とドライバー」

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「春帆楼でフクを食べよう」と、知り合いのH社長のお誘いで小倉から車で関門海峡を渡った。この周辺は、壇ノ浦の戦い、巌流島の決斗、馬関戦争と、異なる名で日本史を彩っている。

平家を破り、源氏の白旗に軍配が上がった壇ノ浦の戦いを武家社会の始まりとするならば、679年後の同じ場所で放たれた英米仏蘭艦隊の砲弾が、攘夷に染まった長州藩に白旗を揚げさせ、遂には倒幕という形でその秩序を終わらせるのだから不思議な所である。

豊臣から徳川に世が変わろうとしていた頃、宮本武蔵と佐々木小次郎が海峡にある巌流島(船島)で戦った。小説や映画で知られる「巌流島の決斗」だ。小次郎は、「物干し竿」と呼ばれる長刀を燕のようにヒラリと操って名を馳せ、武蔵は二刀の遣い手として無敵を誇った。島に向かう舟上、武蔵は襲い来る長刀をくぐり、小次郎を叩き斬る術を考え続けた。船底に打ち捨てられた櫓に目が留まる。「船頭、もらうぞ」と、日に焼け硬く締まった櫓を刀で削り始めた。遅刻すること2時間。武蔵は長尺の木刀を高く振り上げ小次郎の頭上めがけゴウと振り下ろした。

最新の道具と効果的な振り方を求めて彷徨い続けるのはゴルファーだけではない。武蔵や小次郎も同じだ。武蔵は小次郎の脳天を一瞬早くカチ割ることだけを考えた。櫓の特性のままに、重量を先端に配し、軽量で強度を備えた長尺の木刀で一点を高速で打ち抜く。木刀よりもドライバーの設計思想に近い。技に溺れた小次郎。対し、武蔵は、己を知り、敵を知り、道具を知り、発想を自在に巡らせて二刀を捨て、未知の領域に自らを置いた。その胆力に凄味がある。もし、彼がゴルファーであれば… と想像もそこそこに、ゴルフに遅刻せぬよう眠りについた。フク、とても美味しゅうございました。

注)春帆楼。ふぐ料理公許第一号。日清講和会議場としても有名。
ここにも「転」の歴史あり。

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