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84歳で220ヤードのドライバーショットを放つあなたは誰ですか?|新春直撃!情熱的ゴルフ人に会いにいく4人目

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私たちがゴルフをプレーする一つの目的がある。
それは日常からスポーツに取り組む、身体を動かすことで年齢とともに衰える体力と誠心誠意に向き合えることだ。
スコア、そして飛距離というパフォーマンスを通して、日頃からそれを向上させるために頑張るプレーヤーは、例外なく行動や考え方に“若さ”がある。
その究極をいくレジェンドプレーヤーが台湾にいる。
84歳という年齢でドライバーの飛距離はなんと220ヤード・・・
そんな超人にいろんな考え方を学びたい。

312の超人

ようこそ、台湾へ。

豪快なドライバーショットの正体は台湾のプロゴルファー、レジェンド・謝敏男さん、
一言で彼を称えると超人である。

プロゴルファー
謝 敏男さん
しゃびんなん、1940年8月9日生まれ、台湾出身の世界的レジェンドプレーヤー。

[ 戦績 ]
1972年W杯団体、個人優勝、他海外11勝。台湾シニアツアー通算8勝。1968年関東オープン、1975年関東プロ、1979年日本プロ、1982年日本プロシニアなど日本ツアー通算15勝。

今回の取材場所、台湾ゴルフカントリークラブにはレジェンドプレーヤーたちの功績が讃えられた記念館があり、トロフィーなど栄光の数々が展示されている。

大切なのは日々の成長を楽しむこと、
私にとってゴルフ人生はまだまだ長い

時代は多くのトッププレーヤーたちを生み、その連鎖はこれからも止まることは決してないが、そんな新たなプレーヤーたちが破ることはできないであろう偉業の記録が「312」。台湾のプロゴルファー・謝敏男さんが1982年に成し遂げた偉業に因んだ数字である。
「私は長く日本でプレーしました。1970年代〜80年代は日本の景気もよく、毎週のように試合があった。沖縄から北海道まで転戦した日本ツアー生活は今でも鮮明に覚えている楽しい思い出。毎週のように青木功、ジャンボ尾崎、金井清一らと優勝争いをしていました。そんな強力なライバルたちがいながら、1982年に達成できたのが3週連続優勝、そしてその3試合とも初日からトップで完全優勝(12日間)できたことが世界記録になった。『312』は私のプロゴルファーとしての誇りです」。

謝さんは現在84歳。冒頭にも紹介したがドライバーでキャリー200ヤード、トータル220ヤードの強烈なショットを放つ。若さの秘訣は何か・・・。
「若さの秘訣は・・・運動です。その原動力がゴルフであることは間違いない。週4、5回プレーしています。もちろん多くのプレーでエージシュートを達成しますが、私なりに課題があって、それに勤しむ毎日を楽しんでいることも“若さ”の所以かもしれませんね。飛距離を維持するために週に1回、ウェイトトレーニングも欠かしません」。

台湾で開催されているスーパーシニアツアーにも参戦。毎試合でエージシュートを達成、「都度名誉の賞金を獲得するのも悪い」と台湾PGAに寄付をしているという。またゴルフの裾野を広げる活動にも余念がない。
「若者たちが頑張っているシーンを応援するために、私の知りうる財界にスポンサーをお願いする橋渡しが、私がゴルフ界に貢献できる役目だと感じている。その活動の一環でジュニア育成のためのファンデーションを毎年開催。出来る限りは積極的に未来のゴルフをサポートしていきたい」。

ゴルフだけでなく人生の大先輩、謝さんの取り組みを聞くと一人の人間として老け込んでいられない気概を感じさせられる。
「私が所属する台湾ゴルフカントリークラブでは94歳でゴルフを楽しまれる大先輩がいらっしゃる。目標は大先輩の年齢までは元気にゴルフを楽しむこと、日々成長を楽しむこと、まだまだゴルフ人生の先は長いですよ!」

日本VSアジアの対抗戦「VISAダイナスティカップ」。2003年大会、アジアを率いたキャプテンは謝敏男、そして日本は青木功。丸山茂樹、伊沢利光など強豪の日本勢を破り大会2連覇を実現させた。

取材協力/
台湾ゴルフカントリークラブ(台灣高爾夫倶楽部)
1919年台湾で最初のゴルフ場として歴史と文化が融合する淡水地区に開場。100年超の歴史を持つ台湾が誇る国際的コースで謝さんをはじめ多くの名プレーヤーを輩出してきた。

1982年に達成した「312」。東海クラシック、ゴルフダイジェストトーナメント、ブリヂストンオープンと3週連続優勝、全ての大会で初日から首位を譲らない完全優勝。

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