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編集長Gの完全私的レポート ロイコレの現在地。|ROYAL COLLECTION

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ロイコレの「栄光」。
あの頃はやりたいことをただ全力で走り続ける──、いわゆるイケイケ状態だった。
完全私的印象は
“やんちゃ”。

ロイヤルコレクション=フェアウェイウッドという過去の絶対価値、栄光は知っているが、そもそも私自身、触れてきた経験はない。
創業者の話のもと過去のロイコレの栄光を分析してみた。

ロイヤルコレクション創業者
小山英嗣さん(オフィスコヤマ)
「ロイヤルコレクションという社名は、ドイツのカバンメーカーをインスパイアしたもの。特に意味はなく、その高級感あるフレーズが気に入って採用に至りました」。現在、オフィスコヤマを設立して練習器具を中心に製造・販売。ロイヤルコレクションではアドバイザーとしてブランドの復活を支えている。

志ある2人の若者が
世の中になかった発想を
どんどんカタチにしていく…

今から30年以上前の話、関西を拠点にゴルフ業界で別々の道を歩んでいた2人が運命的な出会いを果たし、様々な偶然の境遇から1992年にロイヤルコレクションを創設する。今回、エピソードをお聞きしたのは創業者の一人、小山英嗣さん。ロイコレを栄光のツアーナンバーワン・フェアウェイウッドに導いた立役者である。

創業当時2人が徹底したのは、古き業界の常識に囚われないことだ。生まれたばかりの会社が戦っていくためには、その動きが迅速であり、そして大胆かつきめ細やかであることが前提。そして何より大手メーカーが真似をできない製品力に尽きる。2人にはこの要素が完璧までに揃っていた。まだ職人ありきのパーシモンが全盛の中、量産できるステンレスヘッドで勝負。当時定着し始めつつあるゴルフ工房文化に、いち早く対応するヘッドパーツを展開し、着実かつ堅実にロイコレの存在価値を高めていた。

「ゴルフ工房=完全に上級者の時代で、トップアマがロイコレのドライバーやフェアウェイウッドをセッティングする選手が増えてきた。ゴルフ専門誌による日本アマのセッティング特集ではロイコレのフェアウェイウッドが使用率1位になった。それが皮切りにプロゴルファーにも注目され始め、ツアープロモーションに注力するようになりました」。

ロイコレのフェアウェイウッドが、 
圧倒的飛距離を誇った秘密

さて話をお伺いした小山さん、関西弁で面白おかしく当時を振り返ってくれるが、相当な“やり手”感が伝わってくる。ツアーレップとしてロイコレを使用率1位までに導いた立役者を雰囲気で例えると“イケイケ”。あくまでメディアの立場だがツアーという現場はいつまでも特異で居場所を作るのさえ難しい場。屈強な男子ツアーにおいて恐れ知らずに選手へ切り込んでいけるメンタルはリスペクトしかない。

「大手メーカーと同じことをやってもしょうがないし、朝一番から現場に入り、夜は最後まで現場に残る生活。当時選手たちの契約本数は10本が主で、フェアウェイウッドはフリー状態で選手から要望があれば30分で渡すことも・・・。ロイコレの存在は大手にとっては“目の上のたんこぶ”。そんな無理が実行できたのも、製品力に自信があったからです」。

設計開発を担当したのはもう一人の創業者・賢見良成氏。ロイコレがターゲットとするプロや上級者が欲する重心性能を当時、世界で唯一熟知していたといっても過言ではないその人だ。

「低重心にしてボールの上がりやすさが優先されがちな中、ロイコレは唯一高重心のファアウェイウッドで勝負していた。ボールとクラブの芯に効率よくエネルギーを伝えて圧倒的な飛距離を生み出せる手法を我々は唯一持っていたんです」。

日本男子ツアー使用率1位を獲得、ニック・プライスとの契約を結び、海外では全英オープンなどメジャーを使用選手が勝利。ロイコレにとって強烈なフォローウインドは止まることを知らない。

「やりたいようにやる、全てがうまくいく。“イケイケ”だったのは否めません」。

「選手が使用する瞬間、そのクラブが一目でロイコレとわからないと優れた商品でも意味がない。フェアウェイウッドのキャビティソールは芝面の抵抗を低減する効果、そしてロイコレのシンボルとして効果を発揮しました」(小山氏)。

「当時、ボールは糸巻きからソリッドボールへと転換期であり、ボールが低スピン化していたことで、高重心フェアウェイウッドが素晴らしい相性を誇ったのも事実です」(小山氏)
ボール写真協力ブリヂストンスポーツ

あえて高重心で
インパクトロフトを
抑えてスピンを付与する
「当時は多くのサンプルヘッドを制作し、とにかくツアーでテストを重ねた。その活動の中で圧倒的飛距離を提供できる黄金重心設計を私たちは見つけ出していた。当時、他メーカーにはできない薄肉化が重量を自由配分できた理由、あえて狙った高重心にすることでボールとクラブの芯をダイレクトにヒットさせることがロイコレのフェアウェイウッドの機能の原動力でした」。(小山氏)

時代がその躍進を遮った

しかし、その価値観は時代が遮るように鎮火していく。皮切りとなったのは2008年のリーマンショック、米国でのビジネスの流れが“ロイコレ行進曲”を足止めした。「ソナテック」で展開していた米国では多大の資金を費やして撤退に至った。

そして盤石だった日本市場でもロイコレはその価値観を変化させていく。理由はツアーで海外ブランドが台頭し、選手たちがアマチュアゴルファーと一般的な同モデルを使用するようになったことで、ツアー発信のギアの価値にカリスマ性が薄れていったことだ。使用契約の条件も変わり、フェアウェイウッドやユーティリティの単独プロモーションも厳しくなると同時に、剛腕レップの小山氏がアメリカビジネスのため、日本ツアーを離れたことで徐々にロイコレの存在が薄れて行ったのも事実だ。 

プロ上級者から一般アマチュアゴルファーへとターゲットの裾野を広げ、やさしいプロダクトを次々の展開、もちろんロイコレ=フェアウェイウッドの価値観、存在感は確立されていたため市場でも好評だったが、本来のツアーモデルたる全盛の姿はそこにはなく、徐々にその活動は衰退し、業績が悪化した。細かくは知らなかったが、私も雰囲気でその変遷を感じてきたゴルファーの一人だ。

やりたいようにやる──。若き2人のカリスマが関西で出会い、約20年を駆け抜けてきたロイヤルコレクションは、私的に例えると、とても“やんちゃ”に映る。そのブランドはあまりにも唯一無二の存在であったが、時代はいつまでもその独走を許さない。とくにゴルフ市場はトレンドマーケティングが主であり、流行ったものはその類似品が必ず生まれてくるもの。デビューからあまりにもセンセーショナルな印象を私たちゴルファーに与え続けてきた存在だけに、唯一無二の独自路線の発想が途絶えた時点で、ロイコレの躍進は終わっていたのかもしれない。ブランドを早足で振り返って思う私見の感想だ。

(左)2003年
Super CV BBD TYPE-H
日本ツアー使用率1位獲得

(右)2001年
Super CV BBD SSPRO
デビッド・デュバルが使用して
全英オープン優勝

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