特集
先生に質問!
どうやってゴルフが上手くなったんですか?
今企画の先生はアマチュアゴルフの三木逸子さん。
幾度の日本タイトルを持つレジェンドゴルファーであるが、驚くのは社会人になってからゴルフをスタートさせた経歴にある。
私たち一般アマチュアゴルファーのスタートと変わらないのだ。
三木先生、どうやってゴルフが上手くなったんですか?
三木逸子さん
みきいつこ、1957年12月6日生まれ、高知県出身。ベストスコア63。
明徳義塾中・高ゴルフ部 女子監督。日本女子ミッド3勝、日本女子シニア8勝、地区大会を合わせると通算53勝を誇るアマチュアゴルフのレジェンド。アマチュアのトップで結成されるナショナルチームの強化コーチも務める(2001-2010、〜2014同サポートメンバー)
「ゴルフの魅力の一つって、社会人になっても仲間が作りやすいスポーツだと思っています」。
そう三木逸子先生は語る。老若男女が同じフィールドで楽しめるゴルフは社会人のコミュニケーションツールとして多く活躍するが、三木先生との出会いに導いてくれたのももちろんゴルフ。競技ゴルフを頑張る知人の紹介で明徳義塾へ辿り着いた。「レジェンドであり人格者の先生に一度お会いして欲しい」、そんな紹介を受けて、貴重な教えを乞いに押しかけた形になる。
まずは三木先生のゴルフキャリアについて聞いてみた。
「私の教師生活は主に体育授業を担当しました。私自身は陸上に励みましたが担当したのはバレー、バスケット。ゴルフを始めたきっかけは、西部中(高知市)に赴任したとき。当時は1200人の生徒数を誇るマンモス高で体育の先生だけで10人もいた中、テスト期間中の時間を持て余した午後の自由時間で、先生仲間とゴルフを始めたのがきっかけ。ミニコースによく出かけましたが、楽しくて・・・。始めたのは34歳でした」。
ゴルフをスタートさせたのが、結構遅めで驚かされる。クラブセット、キャデイバッグ、シューズまで揃った3万弱のセットを購入し、趣味のゴルフをスタートさせた。その後、人の縁が競技ゴルフへと導く。
「ゴルフを始めた年、先生仲間での忘年会に高知市内のスナックへ。そこのママさんが競技ゴルファーで意気投合し、色々お世話してくださったのがきっかけでした。旦那さんがゴルフショップもやっていたので、練習からクラブまでお世話になり、そしてゴルフをやるならと会員権を買うことを勧めてくれた。バブル時期で値は張りましたが、趣味のゴルフを楽しむため、思い切って購入しました」。
もちろん会員権を購入されるまでの過程では、練習に勤しんだ。勤務先の学校では19時まで部活の練習を指導し、そこから練習場へ移動して閉館時間まで取り組んだ。自身を“凝り性”というが、ゴルフに取り組める時間は練習場通いに費やして、技術向上に励んだという。
「体格はいいんで、ボールは飛ぶ方。とにかく曲がりを抑えることが練習の目的。レッスンプロには特についたことはない。当時は“教え魔”が多く、あーじゃないこーじゃない、って聞いてもいないのに教えてくれた。私の教科書は“教え魔”さんかもしれません(笑)」。
当時、三木先生が購入された会員権というのが、高知県須崎市のスカイベイゴルフクラブ。浦ノ内湾・横浪半島に位置する絶景が素晴らしいが、三木先生曰く“日本一OBが出るコース”と超タイトなロケーションが特徴だ。明徳義塾・ゴルフ部の学生は放課後にスカイベイGCに遠征し、日々経験値を積んでいる。マスターズ王者の松山英樹もここで実戦力を磨いた。
「私自身、スカイベイでOBを打たないゴルフを目指して腕を磨いた。このロケーションに慣れると日本中のどのコースに行っても、ビビらない(笑)」。
ゴルフをスタートさせて5年目に、知人の誘いで高知県女子アマチュアゴルフ選手権にエントリー、31位。翌年同大会にて2位。
「2位になったことが、私でも競技ゴルフでやっていけるかなって自信になった。そこから様々な出会いもあり、趣味のゴルフで高みを目指してやれるとこまでやっていこうと決心しました」。
コロナ禍を経てゴルフの大衆化が進んだが、一般人にとっては決して簡単なスポーツではない。長い年月をかけても、いわゆる100切りを実現できないままリタイアするゴルファーも少なくはない。
「時間も経費も制限される中で、どれだけゴルフと向き合える時間が作れるかが上達の鍵。もちろん運動能力やセンスで上達の速度は違うかもしれませんが、最後は結局向き合い方、努力が上達を約束してくれるというのが私の経験則です」。
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